介護用品 販売のレビュー
その日から、担当する患者さんを1人、2人と病棟から連れ出し始め、そのうち、ぼくの姿はほとんど病棟から消えていた。
無意識のうちに言葉や行動で患者さんを押さえつけてしまい、患者さんとの聞に上下関係を作ってしまっていた。
そうすることで、何事もなく仕事を終えることが日常となっていたのだ。
当時は、精神科では上下関係があるのは当たり前のことだと思っていたので、ひ弱なぼくはパンチパーマをかけ、「剃り」まで入れてみた(これは笑える)。
無理をしていたし、そんな自分を心のどこかで拒否していたような気がする。
だから、あの重く大きな扉に鍵を差し込んで、開けた時は、何とも言えないいい気分になれた。
気持ちも表情も穏やかになれた。
患者さんも同じで、外ではいろんな話をしてくれたし、普段見られない一面も見せてくれた。
時には、無理やり連れ出したりしたこともあったが、野外活動や作業療法には積極的に参加していた。
自分が病棟に居たくなかったから、患者さんたちに付き合ってもらっていたのだ。
心を癒してもらっていたのはぼくのほうだ、った。
おかげで仕事がだんだん楽しくなっていった。
ついにはパスで患者さんを連れ出すようになった(俳個から離院へと変わった)。
病院の外へ行く時は、当然私服に着替える。
それがまた、患者さんとの関係をフラットにしてくれたし、気分はほとんど仕事ではなく遊びになっていた。
一緒においしいものを食べ、いろんな物を見ては共感していた。
ビールも飲んだ。
アルコール依存症のOさんとビールで乾杯して、お酒について語り合ったことも懐かしい思い出だ。
けっこうヤパイこともあった。
精薄の女性と連れ立って回転寿司に行った時、彼女は席に着くや否や寿司をつかみ取り、一気に口に詰め込んだ。
次の瞬間、あたりにご飯が飛び散った。
またある日は、男性と、一緒に遊んでいた2人がいなし当。
走り回って探したが見つからない。
頭を抱えてベンチに腰掛けて、しばらくボーッとしてため息をついていた時、ボンポンと肩を叩かれた。
振り返るとそこに、「逃げられなかった」と話す2人がいた(神様ありがとう) 0 3人で缶ビールを飲んで一件落着。
精神科看護は人を抑制する寂しさと惨さを教えてくれた。
同時に、精神科看護が、仕事に遊び心を入れる、というよりも、仕事で遊ぶことの楽しさと大切さを教えてくれた。
ぼくは、白衣と鍵と抑制帯のいらない看護がしたいと強く思うようになった。
それは、老人ホームへの思いにつながった。
芝生に覆われた中庭に柔らかな陽が射し、和やかな空気に包まれてゆっくりと時聞が流れ、笑顔のじいちゃん、おばあちゃんが、輪になって歌っている。
そんな職場で仕事がしたくて辞表を出した。
少しは止めてくれるかと思っていたが、すんなり受け入れられた。
(問題児だから仕方がないが)なんとなく寂しかった。
夢と希望でいっぱいのぼくには、これでよかったのだ。
採用は決まっていたが、その日は、事前面接のため高生苑を訪れた。
老人ホームに足を踏み入れるのは初めてだ、ったので、緊張していたが、天使のようなほほ笑み(当時は本当にそう思った)の苑長が優しく迎えてくれてホッとしたのを覚えている。
面接の後、苑長に連れられ施設内を見てまわり、博然とした。
テレビで見ていた老人ホームではなかったのだ。
じいちゃんおばあちゃんではない老人たちの姿がそこにあった。
ホールや廊下にじいちゃんがいない。
笑顔のおばあちゃんがいない。
老人病棟を思い出した。
職員は忙しく走り回り、老人はベッドで静かに横になっていた。
確かに、優しさとあたたかさは感じられた。
楽しそうとはいえず、閉鎖病棟にも似た寂しさと悲しさがあった。
オムツの匂いが妙に鼻をついた。
ぼくの問いかけに「特別養護老人ホームは、どこもみんなこういうものだよ」と苑長が言った。
お年寄りを「かわいそうだ」と同情する気持ちより、「こんなところで働いて何がおもしろいのだろう」という疑問だった。
その日に、やめようかなと思ったのを覚えている。
そんな思いにストップをかけてくれたのが、新潟での「オムツ外し学会」だった。
老人ホームに疑問を持ち続けていたぼくにとって初めての研修だったが、妙な学会、しかも苑長同伴なのであまり気乗りはしなかった。
でも、イソイソとお供をする振りをした。
の予備知識もなく、遠藤向志先生の「失語症ライブ」に参加した。
人前に出るのが苦手なぼくが、ふと気づくと、見ず知らずのおばあちゃんと手をつなぎ、輸の中に座っていた。
お互いの自己紹介に始まり、歌やゲームでみんなが遠藤マジックにかけられていくのだった。
笑いのなか、ライブは進んで行った。
その時、自分の中にある老人ホームの風景を見つけたような気がした。
初めて夜遊びを決行したのは七夕だった。
プライドが高く、色白でときどきうつ状態になって精神科に通っているOさん。
色黒で高齢の精神薄弱のため、ときどき天の声が聞こえてくるアメリカ生まれのFちゃん(彼女とぼくはデキテいると噂されている)。
高生苑入所一番目のいわば苑の主。
口うるさくておまけに口が悪く、耳が遠いのでやたらと声が大きく、「誰さも言うなよー」と大声で話す。
がんこで新人いびりを生きがいとするいやなばばあだが惜めない。
その可愛く呆けているNばあさんを含めた3人は、居室の冷蔵庫にそれぞれの酒がキープされているという酒好きの同室者だ。
ちょうど七夕だったので、「星を見に行く」と言ってタクシーを呼び、脱走するように苑を出た。
行き先は「養老の瀧」。
そう、本当は飲みに出たのだ。
もちろん割り勘だ。
3人共おもしろいように食べ、呑んだ。
おばあさん得意の「寵の鳥」を大爆唱。
老人パワーはすさまじく、異様な歌声は庖内を盛り上げ、大喝采を浴びた。
楽しい時間はあっという聞に過ぎるもので、気がつくと9時をまわっていた。
その日は事務長が当直で、迎えに来てくれることになっていたのだが、約束の時聞はとうに過ぎている。
あわてて苑に電話したが、2次会は予定外だったので連絡がつかない。
夜勤の寮母をわずらわせて、スナックにいることをなんとか伝えることができた。
外に出ると満天の星空で、風がさわやかだった。
道端のプロックに腰を降ろし、迎えの車を待った。
「おいしかった、おもしろかった」とみんな笑顔を見せてくれた。
やっぱり施設外だといつもと違う一面と笑顔を見せてくれるものだ。
そこでNばあさんがポツリと言った。
と。
なんかジーンときた。
ズシリと重い一言だった。
迎えが来た。
もう一度みんなで空を見上げて車に乗り込んだ。
車の中での楽しい会話と笑顔に、事務長もニコニコしているので、私はホッとした。
「血圧の薬を飲んでいるので長い間外には出さないでください。
陽に焼ける」とまで言う。
まったく何も起こらないということはない。
十分注意しているつもりでも、失敗やトラブルもあった。
そんな時は、それ見たことかとつっかかってくる。
「あなたには看護士としての知識やプライドは全くないのね」という厳しいお言葉をいただいたこともある(そんなものは看護学校時代からすでになかった)。
しばらく会話のない日が続いてしまった。
のいい笑顔を見て、ぼくらもまた笑顔になれたし、元気になれたからいいのだと。
温泉旅行、スキー(箱ゾリ)ツアー家族と一緒にホテルでの大忘年会など、楽しいことがどんどん増えていった。
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